LMA分野における文化的多様性・包摂性研究最前線:コレクションの偏り、サービス設計、そして組織運営の課題
はじめに:なぜ今、LMA分野で文化的多様性・包摂性の研究が重要なのか
図書館(Library)、博物館(Museum)、アーカイブ(Archive)といった文化機関は、社会の記憶を保存し、共有し、未来に伝えるという重要な役割を担っています。しかし、歴史的に見ると、これらの機関のコレクション形成やサービス提供、そして組織運営には、特定の文化、階層、あるいは視点への偏りが見られることが少なくありませんでした。グローバル化、社会的多様性の増大、そしてデジタル化の進展に伴い、LMA分野においては、このような偏りを是正し、より多くの人々にとってアクセス可能で、かつ彼らの声や経験を適切に反映する「包摂的な」機関となることが強く求められています。
本稿では、LMA分野における文化的多様性・包摂性をめぐる最新の研究動向に焦点を当て、特にコレクションの偏り、サービス設計、組織運営といった多角的な視点から、現在進行中の議論や研究課題、そして今後の展望について考察します。既存の「デジタル・インクルージョン」や「データバイアス」といった研究領域とも密接に関連しつつ、より広範なLMA活動全体に関わる包摂性の問題を深掘りします。
コレクションにおける偏りの研究
LMAのコレクションは、過去の社会構造や価値観、そして収集・選定プロセスにおける意思決定を強く反映しています。したがって、無意識的あるいは意識的な偏りが内在している可能性があります。この偏りを科学的に分析し、理解するための研究が進められています。
研究手法としては、定性的な資料分析に加え、コレクションデータに対する計量的なアプローチが増えています。例えば、特定のトピック、地域、人物、あるいはコミュニティに関する資料の量をデータとして抽出し、全体のコレクション構成と比較することで、代表性の欠如や過剰な代表性といった偏りを定量的に明らかにします。テキストマイニングやトピックモデリングといった自然言語処理技術を用いて、コレクション記述や資料本文に含まれる言語的な偏り、あるいは特定の視点の強調・軽視を検出する研究も行われています。
また、視覚資料においては、コンピュータビジョン技術を用いて、画像の主題、登場人物の人種・性別、あるいは地理的な位置情報を抽出し、既存のコレクションの視覚的な偏りを分析する試みも始まっています。これらの技術を用いることで、人間の主観的な判断に依存しない、より客観的な偏りの検出が可能となります。
これらの研究は、単に偏りを指摘するだけでなく、なぜそのような偏りが生じたのか、歴史的・社会的な背景や収集方針、あるいは寄贈者の影響といった要因を特定するための手掛かりを提供します。最終的には、将来的な収集方針や資料記述の改善、あるいは不足している領域を補完するためのアウトリーチ活動の計画に資する情報を提供することが期待されています。
包摂的なサービス設計とアクセス性の研究
コレクションの偏りを理解することは重要ですが、それをどのようにユーザーへのサービスやアクセスに反映させるかも、包摂性研究の重要なテーマです。デジタル化されたコレクションは、これまで地理的・物理的な制約によりアクセスできなかった人々にも情報を提供できるポテンシャルを持っていますが、デジタルサービス自体にも新たな包摂性の課題が生じます。
サービス設計に関する研究では、多様なユーザーグループ(高齢者、障害者、言語的少数者、特定の文化背景を持つ人々など)のニーズを理解し、それに合わせたサービスの設計・評価が行われています。ユーザーエクスペリエンス(UX)研究の手法を取り入れ、アクセシビリティガイドラインへの準拠だけでなく、ユーザーの文化的背景やデジタルリテラシーのレベルを考慮したインターフェース設計、ナビゲーション設計に関する研究が進んでいます。
特に、資料記述や検索インターフェースにおける包摂性は大きな課題です。歴史的に使用されてきた記述語彙や分類体系は、特定の時代や文化の価値観を反映しており、現代社会の多様なアイデンティティや視点に対応できていない場合があります。不適切あるいは不快な用語の検出・修正、オルタナティブな語彙や記述方法の開発、ユーザー参加による記述改善メカニズムに関する研究が行われています。
また、物理的な空間における包摂性についても、継続的に研究されています。建物のアクセシビリティ、サインシステムの分かりやすさ、静かで安全な学習・閲覧空間の提供、そしてスタッフの多様性や対応能力といった要素が、利用者の心理的なバリアや安心感にどのように影響するかを評価する研究が行われています。コミュニティとの協働プログラムやアウトリーチ活動を通じて、これまでLMAの主要な利用者層ではなかったコミュニティを取り込むための手法論に関する研究も活発です。
組織運営と専門職の役割に関する研究
文化的多様性・包摂性をLMA活動全体で実現するためには、組織自体の構造や文化、そしてそこで働く専門職の意識と能力が不可欠です。この側面に関する研究も注目を集めています。
組織運営に関する研究では、LMA機関のリーダーシップ、人事戦略、意思決定プロセスが、多様性の尊重と包摂的な文化の醸成にどのように影響するかを分析します。多様な人材の採用、育成、昇進の機会均等、そしてハラスメントや差別の防止といった制度設計に関する研究が行われています。組織内のコミュニケーションスタイルや、コンフリクト解決の手法も、包摂的な職場環境の構築に関連する研究テーマです。
LMA専門職に求められるスキルセットも変化しています。従来の専門知識に加え、異文化理解、多様な視点を尊重するコミュニケーション能力、そして自身や所属機関の無意識的な偏り(implicit bias)を認識し、対処する能力が重要視されています。これらのスキルをどのように育成し、専門職教育や継続教育に組み込むかに関する研究が進められています。特定のコミュニティと協働するためのファシリテーションスキルや、参加型プロジェクトのマネジメントに関する研究も含まれます。
また、倫理規定や専門職の行動規範が、文化的多様性や包摂性の推進にどのように貢献できるか、あるいは課題となるかに関する研究も行われています。過去の倫理的な過ち(例えば、植民地時代の収集活動や、特定のコミュニティに対する差別的な対応)を検証し、未来に向けたより包摂的な倫理規定の策定や実践方法を模索する研究も重要です。
今後の展望と課題
LMA分野における文化的多様性・包摂性研究は、学際的なアプローチを取り入れつつ、急速に進展しています。技術的な手法(データ分析、AI、UX設計)の活用は、偏りの検出やサービス設計の効率化に貢献しますが、それだけでは十分ではありません。社会学、文化人類学、教育学、ジェンダー研究、障害学など、人文・社会科学からの深い洞察と組み合わせることで、より根源的な課題に取り組むことが可能となります。
今後の課題としては、研究成果をLMAの実務にどのように効果的に適用するか、そのための方法論や評価指標の開発が挙げられます。例えば、特定の収集方針の変更やサービス改善が、実際に利用者の多様性の向上や満足度の向上にどの程度貢献したかを測定するフレームワークが必要です。また、研究活動自体が、特定の視点やコミュニティの声を排除していないか、研究プロセスにおける包摂性をどのように確保するかというメタレベルの課題も存在します。
国際的な連携も重要です。異なる文化圏や歴史的背景を持つLMA機関が、多様性・包摂性に関する課題や成功事例を共有し、共通の指針や標準を開発することで、研究と実践の両面で大きな進歩が期待されます。
LMA分野における文化的多様性・包摂性研究は、単に技術や手法の問題に留まらず、LMA機関が現代社会においていかにその存在意義を発揮し、信頼される機関であり続けるかという根本的な問いに関わる研究領域と言えます。この分野の今後の研究成果は、LMAの実践を大きく変革し、より公正で包摂的な社会の実現に貢献する可能性を秘めています。