LMA分野における物質性(Materiality)研究の最前線:デジタル化が問う物理資料の存在論的地位
物質性(Materiality)研究の台頭とLMA分野への問い
図書館、博物館、アーカイブ(LMA)は、長い歴史を通じて物理的な資料を収集、保存、提供する役割を担ってきました。これらの資料は単に情報やコンテンツの担体であるだけでなく、その物理的な形状、素材、状態、履歴といった「物質性」そのものが、固有の価値や情報を内包しています。近年、デジタル化が急速に進展し、資料へのアクセスや利活用は大きく変化しましたが、このデジタル化の潮流の中で、物理的な資料が持つ物質性への関心が高まっています。これは、デジタル化されたレプリカが物理資料のすべてを代替できるわけではないという認識、あるいはデジタル化プロセス自体が物質性に関する新たな問いを提起していることなどが背景にあります。
本稿では、LMA分野における物質性研究の最新動向を概観し、デジタル化が物理資料の存在論的地位に与える影響や、今後の研究課題について考察します。
LMA分野における物質性とは何か
LMA文脈における物質性は、資料が「モノ」として存在する際の、物理的な属性の総体を指します。これには、使用されている素材(紙、インク、布、粘土など)、形状、サイズ、重量、質感、劣化の状態、過去の修復や利用による痕跡などが含まれます。これらの物理的属性は、資料の作成過程、用途、伝来の歴史、文化的な背景、そして時には資料そのものの意味内容に深く関わっています。例えば、手稿の筆跡、版画の紙質、古文書の虫食いの痕、写真の退色などは、単なる物理的特徴に留まらず、資料が持つ情報の一部であり、研究対象となりうる要素です。
デジタル化が物質性に与える影響と研究課題
デジタル化は物理資料の「情報」部分を抽出し、異なる形式でアクセス可能にすることで、LMAの役割を拡張しました。しかし、デジタル化された画像やテキストデータは、しばしば物理資料が持つ物質性の多くを捨象します。高解像度画像は視覚的な情報は捉えられますが、紙の質感、インクの盛り上がり、ページの厚みといった触覚的・物質的な情報は失われます。
この状況に対し、物質性研究は以下のような問いを投げかけています。
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物質性の記録と表現:
- デジタル化プロセスにおいて、物理資料の物質性をどのように効果的に記録し、メタデータとして表現するか。既存のメタデータ標準では捉えきれない物質的属性を記述するための新たな語彙やフレームワークが求められています。
- 3Dスキャン、マルチスペクトル画像、触覚フィードバック技術など、様々なデジタル技術を用いて物質性の側面をより豊かに表現する研究が進められています。これらの技術をLMA資料にどのように応用し、限界は何かという点が議論されています。
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デジタル化と物質性の存在論的地位:
- デジタル化された資料は、元の物理資料とどのような関係にあるのか。それは単なるレプリカなのか、それとも新たな「存在」なのか。デジタル化が物理資料のオーラや真正性にどう影響するか。
- ウォルター・ベンヤミンの議論に触発されつつも、デジタル複製が必ずしもオーラを失わせるだけでなく、新たなコンテキストや価値を付与する可能性も指摘されています。デジタル化によって物質性の新たな側面が発見されることもあります。
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物質性と真正性:
- デジタル化された資料の真正性を保証する上で、元の物理資料の物質性に関する情報はどのように考慮されるべきか。劣化の痕跡や物理的な改変の履歴は、資料の真正性を判断する上で重要な要素ですが、これをデジタル空間でどのように扱うか。
- デジタルフォレンジック技術やブロックチェーンなどが真正性検証に用いられる中で、物理資料の物質性との連携が新たな課題となっています。
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物質性に基づいたアクセスと解釈:
- 資料の物質性に関する情報を提供することで、ユーザーの理解や解釈はどのように深まるか。研究者や一般利用者が、デジタル化された資料を通じて物質性を「感じ取る」ためのユーザーインターフェンスや可視化手法の研究。
- 教育やアウトリーチ活動において、物質性が持つ物語性や歴史的重みをどのように伝えるか。
最新の研究動向と学際的アプローチ
LMA分野における物質性研究は、文化遺産デジタル化、デジタルキュレーション、メタデータ論、保存科学、そして人間情報学やコンピュータサイエンスといった様々な分野と連携しながら進んでいます。
- メタデータとセマンティックウェブ: 物質的属性を精密に記述し、関連する情報(例:素材に関する科学的知見、制作技術に関する歴史的情報)と連携させるために、オントロジーやLinked Data技術の応用が研究されています。CIDOC CRMなどの文化遺産ドメインのオントロジーに、物質性に関する概念をどのように組み込むかといった議論が行われています。
- 高度なデジタルイメージングとモデリング: 高解像度画像、3Dモデリング、コンピュテーショナル・イメージング技術(反射変換撮像など)を用いて、物理資料の微細な物質性を捉え、可視化する手法の開発が進んでいます。これにより、肉眼では観察困難な情報へのアクセスが可能になります。
- 保存科学との連携: 資料の物質的な状態は保存科学の重要な対象ですが、デジタル化された物質性情報が、物理的な資料の保存計画や修復判断にどのように役立つか、あるいは物質性の変化をデジタル記録として追跡する方法などが研究されています。
- ユーザーエクスペリエンスとデザイン: 物質性を意識したデジタルインターフェースの設計。触覚フィードバックデバイスを用いたバーチャル探査や、物質性をメタファーとした情報可視化などが試みられています。
これらの研究は、LMAが単に情報を伝達する機関であるだけでなく、「モノ」としての資料が持つ固有の価値や情報をどのように捉え、継承していくかという、LMAの存在意義の根幹に関わる問いでもあります。
今後の展望と課題
LMA分野における物質性研究は、まだ発展途上の分野ですが、その重要性はますます高まっています。今後の研究課題としては、以下の点が挙げられます。
- 物質性の記述と表現に関する共通の基準やガイドラインの確立。
- 多様な素材や資料種別に対応できる物質性記録・表現技術の開発と普及。
- デジタル化された物質性情報を、研究、教育、保存といったLMAの様々な機能の中でどのように効果的に活用していくか。
- 物質性に関する議論を、LMAの専門家だけでなく、科学者、技術者、アーティスト、そして一般市民との間の対話の中でどのように位置づけていくか。
デジタル技術は、物理資料の物質性を完全に再現するものではありませんが、物質性への新たな視点を提供し、その価値を再認識させる触媒となりえます。LMA分野がデジタル時代においても物理資料の価値を十全に伝え、活用していくためには、物質性に関する深い理解と、それを技術と実践に繋げる研究が不可欠であると考えられます。
参考文献
- 文献名は具体的な研究事例に言及する場合に追記しますが、ここでは特定の文献への言及は行いません。一般的な概念や動向に基づいています。