LMA分野におけるユーザーエクスペリエンス(UX)研究の最前線:デジタルサービスの設計、評価、そして課題
はじめに
近年、図書館(Library)、博物館(Museum)、アーカイブ(Archive)といったLMA機関は、そのサービスの提供においてデジタル化を急速に進めています。デジタルコレクション、オンラインデータベース、仮想展示、遠隔アクセスサービスなど、多様なデジタルインターフェースが提供されるようになり、ユーザーは物理的な場所に依存することなく、LMAが保持する情報や資料にアクセスできるようになりました。
このようなデジタル環境においては、ユーザーがサービスをどの程度効果的、効率的、そして満足のいく形で利用できるか、すなわちユーザーエクスペリエンス(User Experience, UX)がサービスの成否を左右する重要な要素となります。単に情報を提供するだけでなく、ユーザーの認知、感情、行動を含む全体的な体験を理解し、向上させることが求められています。
UX研究は、情報学、人間中心設計(Human-Centered Design, HCD)、インタラクションデザイン、心理学など、様々な分野に跨がる学際的な領域です。LMA分野においても、これまでのユーザー行動分析や情報探索行動研究に加え、デジタルサービスの設計と評価に特化したUX研究がその重要性を増しています。本稿では、LMA分野におけるUX研究の意義、主要な手法、最新の研究動向、そして今後の課題について考察します。
LMA分野におけるUXの意義と特殊性
LMA分野におけるデジタルサービスにおけるUXの向上は、以下のような点で極めて重要です。
- アクセスの促進: 使いやすいインターフェースは、多様な背景を持つユーザーが情報や資料に容易にアクセスすることを可能にします。これはLMAの使命である普遍的なアクセス提供に直結します。
- 利用の深化: 優れたUXは、単なる情報検索に留まらず、資料の発見、理解、創造的な利用といった深いレベルでのインタラクションを促進します。
- エンゲージメント向上: 満足度の高い体験は、ユーザーのリピート利用やLMA機関への関与(寄付、ボランティアなど)を促し、コミュニティとの関係強化に繋がります。
- LMA機関の価値証明: デジタルサービスを通じて提供される優れた体験は、LMA機関が社会にもたらす価値を可視化し、その存在意義を示す上で重要な役割を果たします。
一方、LMA分野におけるUXには特有の複雑性が伴います。
- 多様なユーザー層: 研究者、学生、一般市民、子供、高齢者、障害のある方など、利用者の属性、目的、デジタルリテラシーは極めて多様です。これらの全てのユーザーにとって公平で包括的なUXを提供する必要があります。
- 資料・コレクションの多様性: テキスト、画像、音声、動画、3Dデータ、地理空間データなど、扱う資料の形式や性質は多岐にわたります。それぞれの特性に応じた最適な提示方法やインタラクション設計が求められます。
- 利用目的の幅広さ: 学術研究、学習、レクリエーション、創造活動など、利用目的は様々であり、それぞれの目的に合わせたUXの設計が必要です。
- 非営利・公共サービスとしての性格: 商業的なサービスとは異なり、LMAサービスは公共財としての性格を持ちます。収益性だけでなく、教育、文化振興、研究支援といった公共的な目的達成に貢献するUXデザインが求められます。
これらの特殊性を踏まえ、LMA分野においては、一般的なウェブサイトやアプリケーションのUX研究手法を適用しつつも、LMA固有の文脈に即したカスタマイズや新たなアプローチの開発が必要です。
LMA分野におけるUX研究の主要な手法
LMA分野のデジタルサービスにおけるUX研究では、ユーザーの行動、ニーズ、体験を理解するために様々な質的・量的方法論が用いられます。
1. 評価手法
既存サービスやプロトタイプのUXを評価するために広く用いられます。
- ユーザビリティテスト: 実際のまたは代表的なユーザーにサービスを試用してもらい、その行動を観察し、課題や問題点を発見する手法です。タスク完了率、所要時間、エラー率などの定量データに加え、ユーザーの発話や表情から得られる定性的な洞察が重要です。近年のリモート環境での実施も一般的になりました。
- ヒューリスティック評価: 専門家が、確立されたユーザビリティ原則(例:ヤコブ・ニールセンの10個のヒューリスティック)に基づいてインターフェースを評価し、問題点を洗い出す手法です。効率的ですが、実際のユーザー視点を完全に捉えることは難しい場合があります。
- アンケート・インタビュー: ユーザーの自己申告による満足度、意見、ニーズを収集する手法です。大規模なユーザーからのデータ収集にはアンケート、深い洞察を得るためにはインタビューやフォーカスグループが有効です。
- ログ分析: サービス利用ログ(アクセスログ、検索クエリ、クリック履歴など)を分析することで、ユーザーの実際の行動パターンを把握する手法です。どの機能がよく使われているか、どこで離脱が多いかなどを定量的に分析できます。既存のユーザー行動分析研究と密接に関連します。
- A/Bテスト・多変量テスト: インターフェースの異なるバージョンを用意し、実際のユーザーグループにランダムに割り当てて利用させ、コンバージョン率や滞在時間などの指標を比較することで、より効果的なデザインを特定する手法です。限定的な変更の効果測定に特に有用です。
- 眼球運動追跡 (Eye-tracking): ユーザーが画面上のどこを見ているかを詳細に記録・分析する手法です。注目されている要素や見落とされがちな要素、情報の探索パターンなどを視覚的に把握できます。
- 感情・体験評価: 特定のツール(例:AttrakDiff, SUSなど)や質的な手法(例:日記調査、体験サンプリング)を用いて、ユーザーがサービス利用中に感じる感情や全体的な体験の質を測定・分析する手法です。
2. 設計手法
ユーザーニーズに基づいたサービス設計プロセスを支援する手法です。
- ユーザー中心設計 (UCD) プロセス: ユーザーを設計プロセスの中心に置き、ユーザーのニーズ、要求、制約を理解することから始め、繰り返し設計・評価を行うアプローチです。LMA分野における多様なユーザーのニーズを反映するために不可欠です。
- ペルソナ・カスタマージャーニーマップ: ユーザー調査に基づいて、典型的なユーザー像(ペルソナ)や、ユーザーがサービスを利用する過程(カスタマージャーニーマップ)を具体的に表現する手法です。設計チーム全体でユーザーへの共感を深め、共通理解を形成するために役立ちます。
- ワイヤーフレーム・プロトタイピング: サービスの画面レイアウトやインタラクションの流れを簡易的に表現する手法です。早期にアイデアを具体化し、ユーザーや関係者からのフィードバックを得ながら設計を検証・改善するために用いられます。
LMA分野におけるUX研究の最新動向
LMA分野のUX研究は、技術の進化や社会状況の変化に合わせて様々な方向に発展しています。
- 多様なユーザー層への対応深化: 高齢者、障害のある方、移民・難民、子どもといった特定のユーザーグループのニーズに特化したデジタルサービスのUX研究が進んでいます。アクセシビリティ基準(WCAGなど)の遵守に加え、インクルーシブデザインの原則に基づいた研究が注目されています。
- 没入型技術(VR/AR/MR)のUX評価: VRを用いた仮想展示やARによる資料重ね合わせ表示など、新しいインターフェースのUX評価に関する研究が行われています。これらの技術がもたらす没入感やインタラクションの特性が、ユーザーの体験にどのような影響を与えるかが探求されています。
- AI/MLとUX: 機械学習を活用したパーソナライゼーション機能(推薦システムなど)や、自然言語処理(NLP)を用いた検索インターフェースのUXに関する研究が増えています。AIが生成するコンテンツや提示する情報に対するユーザーの信頼性や理解度といった側面からのUX評価も重要視されています。特に、AIの判断根拠をユーザーに分かりやすく説明する手法(XAI)は、LMAサービスにおける透明性や信頼性を確保する上でUX研究と密接に関わります。
- ** Linked DataとUX:** オントロジーやLinked Dataを用いて構築されたセマンティックな情報環境におけるUX研究も進んでいます。多様な情報源が連携された環境で、ユーザーがどのように情報を発見し、意味を理解し、自身の知識と結びつけていくのか、そのインタラクションデザインや評価手法が議論されています。
- リモート環境でのUX研究手法: COVID-19パンデミック以降、リモートでのユーザビリティテストやオンラインアンケート、リモートインタビューといった非対面式のUX研究手法が普及しました。これらの手法の効果的な実施方法や限界に関する研究が進んでいます。
- 倫理的UXとプライバシー: ユーザー行動データの収集・分析が容易になるにつれて、ユーザーのプライバシー保護やデータ利用における倫理的な側面に配慮したUXデザインの重要性が認識されています。透明性の高いデータ利用方針の提示や、ユーザーによるデータコントロールの仕組みに関する研究が行われています。
LMA分野におけるUX研究の課題と展望
LMA分野におけるUX研究は発展途上であり、解決すべき多くの課題があります。
- リソースの制約: 多くのLMA機関は、UX研究に特化した専門家や十分な予算、時間を確保することが難しい現状にあります。限られたリソースの中で、効果的かつ持続的にUX研究を実施するモデルの構築が必要です。
- 多様なサービスへの適用: ウェブサイト、デジタルアーカイブ、OPAC、機関リポジトリ、モバイルアプリなど、提供されるデジタルサービスは多岐にわたります。それぞれのサービスの特性や利用文脈に応じたUX研究アプローチを開発・適用する必要があります。
- 評価結果の設計へのフィードバック: UX評価によって得られた課題や洞察を、実際のサービス設計や改善プロセスにどのように効果的に反映させるかは常に課題となります。研究成果を実務に活かすための方法論や組織的な連携の仕組みづくりが求められます。
- 定量的・定性的方法論の統合: ログデータ分析のような定量的手法と、インタビューやユーザビリティテストのような定性的手法から得られる知見をどのように統合し、より包括的なユーザー理解に繋げるかの研究が必要です。
- 長期的なUXの変化追跡: サービスの利用によってユーザーの期待やニーズは変化する可能性があります。継続的にUXを評価し、長期的な変化を追跡するための枠組みやツールが求められます。
- 研究者・実務家・利用者の連携: UX研究の成果を最大化するためには、研究者、LMAの実務家(司書、学芸員、アーキビスト、IT担当者など)、そして実際の利用者との密接な連携が不可欠です。それぞれの視点や専門知識を共有し、共にサービスを共創していくアプローチ(Co-designなど)が重要になります。
- 標準化とベストプラクティス: LMA分野におけるUX研究の手法や評価指標について、ある程度の標準化やベストプラクティスの共有が進むことで、異なる機関や研究間での比較可能性が高まり、分野全体の知識蓄積が促進されると考えられます。
今後の展望としては、生成AI技術の発展に伴い、ユーザーインターフェース自体が大きく変化する可能性があり、これまでのUX研究の枠組みでは捉えきれない新たな課題や機会が生まれるでしょう。また、メタバースのような新しいデジタル空間におけるLMAサービスの展開も検討されており、これらの先進的な環境におけるUX研究は新たなフロンティアとなります。
結論
LMA分野におけるユーザーエクスペリエンス(UX)研究は、デジタルサービスの利用を促進し、LMA機関の価値を社会に提供する上で、ますますその重要性を高めています。多様なユーザーと資料特性を持つLMA固有の文脈を踏まえつつ、既存のUX研究手法を適用し、さらに発展させていくことが求められています。
ユーザビリティテスト、定性・定量データ分析、ユーザー中心設計といった様々なアプローチを組み合わせることで、ユーザーの深い理解に基づいたデジタルサービス設計・評価が可能になります。また、没入型技術やAI/ML、Linked Dataといった最新技術の応用に伴うUXに関する研究は、分野の最前線を拓いています。
今後は、リソースの制約、多様なサービスへの対応、研究成果の実務への還元といった課題に対し、実務家との連携強化、効果的な手法の開発、継続的な評価体制の構築などが進むことが期待されます。LMA分野のUX研究は、デジタル時代のLMAがその使命を果たし続けるための鍵となる研究領域であり、今後のさらなる発展が望まれます。